たとえ世間に何を思われても
会社の上司に、定時でしばらく上がらせてくれ、と言った。
もちろん嫌な顔をされた。
冷たい返事だったが、突っぱねられはしなかった。
私は一度、無理が祟って鬱になった。
もうあんな風にはなりたくない。
そう肝に誓った。
上司に言うのは怖かった。
でも、言わずに無理をし続けて倒れることはもっと怖かった。
鬱になって以降、不安定な時は、会社を休むようにした。
休みがちになって周りに何を思われても、どうでも良いと思うことにした。
そんな人達は、どうせ会社でしか付き合いのない人だ。
その後の私の人生に、何の影響も及ぼさない。
それならば、居心地が悪かろうと私の健康を優先して何が悪い。
限界を迎える前に、3日間休みを取って実家に帰った。
仏壇で、おじいちゃん、ひいおばあちゃん、ひいおじいちゃんに手を合わせた。
その時、私の命の尊さに気づいた。
おじいちゃん、おばあちゃん、そのもっと前のご先祖様が、生き繋いでくれた命。それは誰にも邪魔されてはいけないのだと。
そして、青空を見た。カラッと晴れた初夏の青空はとても美しいと思った。なんでもできそうな気がして、楽しい気持ちが溢れてきた。
そうだ。美しい、楽しい、綺麗だ、そんな気持ちが一番の宝物なのだ。こんなにステキな気持ちを感じずに生きるなんて、不幸だ。
元気に生きていれば、何だってできるし、何かしら道はある。不幸を感じながら生きるなんて、それは死んでいるようなものなのだ。
私はもう何も怖くない。
損得勘定しか働いていない職場の人間関係のために神経をすり減らすのは止めよう。
何を思われても、あなたには価値がある。
未来があって、大事な人がいる。
それはそんなことでは変わらないのだ。