ジョバンニとねこ

繊細すぎてあまりわかってもらえない心を吐き出す場所。

暮しの手帖92

休養のため、ひさしぶりに実家でのんびりする機会を頂いた。私の実家はかなりの田舎にあり、家の周りは田んぼだらけである。都会のような雑音も少なく、時間の流れがゆったりしている。

 

食卓でテレビを流しみながら、暮しの手帖をぱらぱらとめくっている。実家では、毎号暮しの手帖を買う習慣があったが、どうやら珍しく最近買っていないらしい。実家にある一番新しい冬号を読んでみた。

 

暮しの手帖の好きなところは、もちろん美味しそうな料理もだが、読み物が多いところである。暮しのヒント集なんかも毎号欠かさず見ては、気が引き締まる。

 

今回読み物でパッと目に留まったものがあった。最果タヒさんのだから、暗闇へ。という随筆である。

百人一首の時代、夜中に男女がはじめて出会い契りを結ぶという当時の習慣についての何故なのだろうという想像が書かれていた。会うまで、相手を知れるのは和歌や手紙だけだった当時、歌や言葉は神聖で、会わなくても十分だと言えるほどの言葉が理想だったのかもしれない、それを超えてまで会いたいと欲することは、簡単に許されず、躊躇して当然の困難さをその時間に宿すために選ばれたのが暗闇だったのではないか、といった内容だった。

ああ、想像するだけでなんと胸が締め付けられるほどに切なくなるのだろう、と思った。会えないからこそ、接点が少ないからこそ、その時間に恋焦がれ、躊躇して当然の暗闇の中で会いに行く。私は、どこに居ても連絡を取り合える現代で良かったなあと思うけれど、会えない時間に相手を思い、会って濃密な時間を過ごす大切さは、どれだけ直ぐに連絡が取れるようになった現代でも変わらないし、大事にしたいと思う今日この頃。